89800円からの自費出版

2007年05月01日

文章の色気とは

色気はどこから出るのか

元集英社の松島義一先生に教えていただいたことを記します。
松島さんは文芸誌『すばる』の創刊に尽力された方で
中上健二、北方謙三、立松和平ら
多くの作家を育てた編集者です。

元々は作家を目指していました。
というか、70歳になられた今も
傑作を書こうと奮戦しておられます。
ところが、人の原稿を読む作業が膨大で
なかなか自分の作品には手が回らないのです。

浦安、佐倉などの同人誌の講師役を3つぐらいかけもち
千葉県内のあちこちのカルチャースクールで
の講師をしているうえ、新人賞の下読み原稿が
膨大に送られてきます。

それら他人の原稿を丁寧に読み
情熱を傾けて指導されます。

文芸関係の方が言うことは、
普通の文章講座で言われることとは全然違います。
もっと深いことを言います。

松島先生が作家として成功する
ためのキーワードとして言われたのは
ウソ、色気、文章力の3つでした。

小説だからウソなのです。
読後感がよければどんなウソを書いてもいいのです。
ところが、これがうまくできない。
中途半端なウソを書いてしまうのです。

そして色気。
濡れ場を書くということではなく
文章から、行間から漂う色気がないと
読者を惹き付けないのです。

その色気とはどこから出るか。
これが難しいのですが
「人間が好きだ」という作者の強い気持ちから
にじみ出るというようなことをおっしゃっていました。

絵や音楽もそうですが
どんなものも色気がないと魅力が感じられない。
人間の感性はそういう風にできているようです。

そして文章力はそれらの土台となり、
その他の作品から抜きん出る決め手となるのです。
ピアニストであれば演奏技術を
画家であれば描く技術を
極めなければならないのと同じことです。

けれども、いくら技術的にうまくても
魅力的でないものもありますよね。
それがつまり「色気に欠ける」ということなのでしょうが
どうこがどうだからと説明できません。

魅力がない、色気がないと
われわれは一言で片付けてしまいますが
説明せよと言われると
「えーと、そうですね。あの、この色がちょっとなん
でして、それで、なんというか、なんとなくですね」
といったことになってしまいます。

言葉で言い表せないところがあります。
posted by ぶんぞう at 12:14 | 文章講座12

句点の位置を考える

決まりがないから難しい

文章の感覚を鍛える意味で
作家の水木楊先生に教わったことを記します。

それは句点です。
句点をどこに打つか。
これは正解はないのです。
ぼくなども感覚でやっているので
時に悩むこともあります。
その人の文章の呼吸のようなものが
句点の位置で変わります。

だから、どこに点を打つとどうなるか。
いろいろやってみるといい、と言われました。

それから語順もいろいろ変えてみる。
組み合わせパズルみたいなものですが、
これでも文章の感じは全然変わってきます。

たとえば次のようにです。

1 私は梅雨の街を濡れながら、真っ直ぐに歩いていった。

2 梅雨の街を濡れながら、真っ直ぐに私は歩いていった。

3 濡れながら真っ直ぐに、梅雨の街を私は歩いていった。

4 真っ直ぐに、梅雨の街を濡れながら私は歩いていった。

5 私は歩いていった。濡れながら梅雨の街を真っ直ぐに。

どれが正解というのではなく、
感覚の問題なので、
それぞれがどう違うかをじっくりと感じてみることです。

1が最もオーソドックスで、無難です。
下に行くほど、作家的な雰囲気の表現になりますね。
4などは、よほど「真っ直ぐ」ということに意味がある
場合の表現でしょう。

みなさんは、どれが一番しっくりしますか。
posted by ぶんぞう at 12:07 | 文章講座11

余計な比喩は使わない

思い浮かなければ書かない

比喩は、的確な言葉が思い浮かばないときは
使わないほうが無難です。

手垢のついた表現を使うと
かえって印象が弱くなり、
稚拙なイメージをもたれます。

「薔薇のように美しい女性」
「モナリザのような微笑」
「ひまわりのような笑顔」

といったありきたりな表現は避けましょう。

下手な言葉を使うぐらいならただ、
「女性」
「微笑」
「笑顔」

だけでいいです。
その方がすっきりしたよい文章になります。
posted by ぶんぞう at 12:00 | 文章講座10

文章のプロと素人の違い

プロは書くのが早い

文章のプロと素人の違いはなんでしょうか。
きれいな文章を書く人が必ずしもプロではありません。
プロでも汚い文章を書く人もいれば、
素人でもとてもきれいな文章を書く人もいます。

新聞記者とか雑誌記者を30年くらいやってきた人の中には、
ものすごく文章のうまい人がいるのは当然ですが、
面白いことに非常に汚い文章を書く人もいます。
でも、その人はプロとしてやってきたのです。

よく読むと、汚いなりにその人のリズムがあり、
独特の味わいや説得力があることがわかります。
それでやはりプロだなと思うのです。
つまりその人独自の文体が出来上がっているのです。

文章というのはかなり性格を反映しますから、
長く書いているからきれいになるとか、
緻密になるというものでもないのです。

だから、うまいか下手かでプロと素人の線引きは
一概にはできないのです。
それでも素人とプロの違いはやはりあります。

プロで長くやってきた人は、
たとえ文章がきれいでなくても、
その人のリズムを持っているのです。
リズムとは文体と言い換えてもいいです。

文体を持っているということは、何が違うかというと、
個性が浮き出るということもありますし、すらすら書けるのです。

つまり書くのが早いのです。
プロと素人の一番大きな違いはそこかもしれません。

プロというのはどんな仕事でもそうですが、
一定の時間内にやりきる、締め切りという制約があります。

どんなことがあっても期限内に書ききらなければ
どんな言い訳も通用しません。
白いページでは新聞も雑誌も成り立たないのです。

本当にぎりぎりの状態になったらうまい下手どころではなく
それこそ胃をキリキリさせながら無理やり書くことになります。

そうした現場で長年鍛えられたプロは
そうした中で身につけた自分のスタイルがありますから、
書くのが早いです。
おそらくプロと素人の一番の差は、書くスピードだと思います。

さて、そこで考えてもらいたいのは文学賞などへの応募です。
文学賞というのは、出来た作品を評価するわけですから
その書くスピードなどはまったく関係ないわけです。

ということは、相対的に言えば、素人が有利と言えます。
あえて言うならばの話ですが。
posted by ぶんぞう at 00:47 | 文章講座9

2007年01月18日

小説系とジャーナリズム系

文章、文体というものは属するジャンルによってかなり違いがあります。

たとえば、小説でも文学系とエンターテインメント系では全然違います。

また小説の文章とジャーナリズムの文章も違います。

文学、エンターテインメント、ジャーナリズムの順で
文章の細かい部分に対するこだわりが強くなる傾向があります。

これはどちらがよいという問題ではありません。
それぞれ目的が違うからです。

ジャーナリズムの文章も、新聞と週刊誌では違いますが、それはおいておいて、一般にジャーナリズムとか、ルポ系の文章は乾いています。

余計な感情や思い入れをなるべく排除して、事実を淡々と書き連ねます。

文章に凝って筆が止まってしまうくらいなら、事実をその分、書き連ねた方がいいのです。読者もそれを求めています。

些細なことに思える事実でも、出来るだけ正確にということだけを念頭において、どんどん書き連ねていくのです。

そうすると、その全体像が見えてきます。

著者があれこれ、自分の意見や考えを言う必要はないのです。

それは余計な言葉になる可能性が高くなるからです。
ここぞというところで、的確な言葉を入れることは必要ですが、後は
淡々と取材対象者の言葉や、行動、情景などの描写を書いていくのです。

それだけでも書き手の持ち味は十分に出てくるのです。

そういうのがよいジャーナリズムの文章だと思います。
タグ:文章講座
posted by ぶんぞう at 17:47 | 文章講座8

2006年12月20日

テープ起こしスピードアップ

取材などで録音したデータ。
最近はカセットテープではなく
デジタル録音するようになっていますよね。

そのデータをパソコンに取り込んで
聞きながら文字にするのが一般的ですが

そのとき便利なのが「おこしやす」

というフリーソフトです。

ウインドウズメディアプレイヤーでもいいんですが、

聞き取れなくて戻すときとか不便なんです。

おこしやすなら、自動的に5秒戻って

そこから再開してくれたりできるので非常に便利です。

下記から無料ダウンロードできます。

おすすめですよ。


http://www12.plala.or.jp/mojo/Oko_dl.html
posted by ぶんぞう at 12:12 | 日記

2006年11月05日

文章講座7

文章講座7

====================
   プロ作家になるためには             
====================

「プロ作家養成塾」若桜木虔 著
という本がありますが、
作家を目指している方は
ぜひ読まれることをお勧めします。


今回はその内容を教えちゃいましょう。

ここに書いてあることは本当にまっとうな
当たり前のことなのです。

けれども、私たちは、当たり前のことができないのです。

不思議ですね。

特に自由な環境におかれると、なおさらできない。

このテーマをこのように書きなさいと言われると

きちっとできる人でも、

自由に書けと言われると

原理原則もすべて吹っ飛び、不自由になってしまうのです。

人情の不思議なところです。

この本の第一章は
「とにかく面白い小説を書こう!」となっています。

そうですよね。

まったく。

面白くないものを一体、誰が読むのでしょう。

人生の貴重な時間を使って。

もちろん面白い小説を書くのは簡単ではありません。

だから謙虚に勉強しなければならないのです。

わかってもらえなくてもいい、なんて開き直ってはいけません。

これは若い人が一番陥りやすい罠です。

わかってもらってこそ、書く意味があるのに。

では、どのように書くのが読者にとって

わかりやすいのか。面白いのか。

それがプロのノウハウです。

いくつか紹介します。

1 回想シーンを使わない

2 視点移動は極力、しない

3 登場人物はできるだけ少なく

著者はエンターテインメントのプロ作家ですから

純文学とは少し違うかもしれませんが、基本は共通してます。

これらのことはすべて

物語をわかりにくくする原因になります。

頻繁に回想シーンが出てくると、読んでいるうちに

それが今のことなのか、過去のことだかわからなくなります。

視点が頻繁に移動すると、誰が主人公なのかわからなくなります。

登場人物が多すぎると、誰が誰だか覚えられません。

だから、新人はそういう書き方をしてはいけない

と著者は言っています。

テクニックがないのに、わざわざ小難しいことをして

自滅する必要はないではないか、というわけです。

posted by ぶんぞう at 01:41 | 文章講座7

文章講座6

文章講座6

くどい、長い文章はよくないと
何度も言ってきましたが
具体的にどうすれば、
すっきりとした文章になるでしょうか。

原則を言います。
重複、主語、形容詞、慣用句、接続詞を
可能な限り省くのです。

重複はわかりますね。
同じことを二度書かないことです。

特に、二行か三行前に書いたことを
ちょっと言葉を変えただけで
また書いているような
ケースがけっこうあります。

インタビューをテープ起こしして、
それを土台に書いていると、
よくそうなります。
会話では、同じことを繰り返し言う
場合が多いからです。

まあいいか、とその調子で書くと
だらだらした文章になります。

まあ、わかればいいではないかと言えば
その通りですが、すくなくとも
きれいではありません。
品のよい文章ではありません。
読んでいて気持ちよくもありません。


主語も、流れからして、絶対にその人の行動や
言葉だとわかっているのに
何度も何度も「私は……、私は……、私は……」
と書くことはないです。

形容詞もあまり使わないほうがいい。

きれいな花、美しい女性、明るい太陽、
という表現。
普段、安易に使ってしまいますが、
きれい、美しい、明るいは省いても通じるし、
どのようにきれいなのか、
どのように美しいのかを描写した方がいいのです。

雨がしとしと降っていた、とか、
線路が飴のように曲がっていた、といった
慣用的な、手垢のついた表現も避けます。

それから、しかし、また、といった接続詞。
これもつい使いたくなるのですが、
何度も出てくると
見苦しくなります。

思い切って削ってみると、
必要のないケースがほとんどです。

なんだ、書く必要なかったのか、
と、削ってみてから気づくのです。
posted by ぶんぞう at 01:40 | 文章講座6

文章講座5

文章講座5


短く短く

 文章は話すように書けばいいのです。
 流麗な名文を書く必要はないのです。
 ただし、一つ条件があります。
 だらだら書いてはいけません。
 いくら話すように書くといっても
 話し言葉をそのまま書いてはいけません。
 なぜならものすごく無駄が多く
 汚くて、読みにくい文章になるからです。
 ですから、話すように書いたならば
 今度はそれをどれだけ短くできるか、
 挑戦してください。


 とにかく短く、短く、です。
 情報が通じる範囲内で限界まで短くするのです。
 すると、引きしまった、読みやすい文章になります。
 読者からしても、同じことを二度読まされたら
 迷惑ですよね。
 「これはさっきも言ったじゃないか。もうわかっているよ」
 と毒づきたくなりますよね。
 うまい人の文章にはそういうところがありません。
 どこにも過剰な説明はなく、
 逆に足りないところもない。
 短いけれども、情報がたっぷり盛り込まれている。
 それがすーっと入ってくる。
 そういうのがよい文章です。


 そのテクニックを身に着けるにはまず、
 短い、制限された字数の中で、
 どれだけの情報を落ち込めるかという
 訓練をするといいです。
 その意味では、ワープロでだらだら書くのは
 本当はよくないのです。
 制限がないからどんどん字数が増えてしまいます。
 そういう癖のついてしまった人は
 ハガキに手書きで書く練習をしてはどうでしょうか。


 情報量が同じなら、短くまとめられているほど
 よい文章だと言って間違いありません。

 私の周りでも達者な人ほど、文章は短いです。
 下手な人が800字ぐらいで表現する内容を、
 情報を削ることなく、
 さらりと400字で表現します。

 そういう人の文章はきれいです。

 だいたい、きれいな文章というのは
 読まなくても、字面を見ただけでわかるものです。

posted by ぶんぞう at 01:39 | 文章講座5

文章講座4

文章講座4
さて、机の上で凝り固まって
文章が一行も書けないという状況から脱するために、
えいやっと、話し言葉でそのまま勢いに乗って書くわけです。
基本的にそれでいいのです。

文章なんて基本的には話している言葉と同じように書けばよく、
普段使ってもいないような言葉を無理に埋め込むことはないのです。
カッコをつけようとするから詰まってしまうわけですね。

そう思えば文章を書くことに対する苦手意識が一気に吹き飛ぶと思う。
そういう認識に立った上で、
わかりやすく、おもしろく、役に立つようにするにはどうすればいいか。
そこを考えるのが、文章上達の一番の近道です。

話すように書くわけですが、もちろん、そのまま、
まったく同じというわけではありません。
話しているように書いているつもりでも、実際はずいぶん違うのです。

実際の話し言葉をそのまま紙に流し込むと、
テープ起こしをしたことがある人ならわかるだろうが、
ものすごくまのびした、分量の長い、字づらの汚い文章になります。

「えー、そうですね、わたしがおもうにはですね、
この問題は元々はというとですね、つまり根本的には、
日本の教育の問題ということになるとおもうわけなんです。
はい。っていうか……」という感じになり、
文章としては成り立たないのです。

いまの話し言葉を文章にすると、どうなるか。
「この問題の根本は日本の教育問題にある」となります。
意味としては、それだけのことしか言ってないのです。

字数にして18字。この内容がテープ起こしでは82字になってしまう。

同じことを伝えるのに、4倍以上の字数を使っている。
これが話し言葉の現実で、それをそのまま書き言葉にすると、
悪文の典型となります。

話すように書くのですが、前提として
「無駄を極力省く」という原則があります。
繰り返しますが、これは原則です。
素人の文章は概ねこれができていない。

先ほどの18字の内容を、さすがに82字も使わないが、
36字ぐらい使うことは珍しくありません。

とすれば素人は、18000字で伝えられる情報に
36000字使うことになります。
これを読ませられるほうはたまったものではないのです。

同じ内容のものを読むのに、
2倍も多くの文字を読まなければならないので、
必然わかりにくく、間延びして
おもしろくないものになるのです。
posted by ぶんぞう at 01:37 | 文章講座4
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